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執筆者の写真DOSANKO DREAMix【D.D】

北海道を創る人『ウエモンズハート』広瀬文彦さんにインタビュー

更新日:2021年2月21日


『ウエモンズハート』とは

「広瀬牧場の生乳を使って美味しいものを食べさせてあげたい!」という想いから

1999年にオープンした「ウエモンズハート」

古い母屋を改造した可愛らしい黄色い建物のアイスクリームショップ

果物や野菜は、自家生産物や無農薬・有機栽培の物など、材料は十勝産のものにこだわり、毎日つくりたての手作りジェラートを提供しているこだわりあふれる牧場


-インタビュー-


ひろき

ウエモンズハートさんの方でジェラートの販売や牧場体験などをされているとお聞きしましたが、どのような経緯で始められたのですか?


広瀬さん

現状を言うと、今は息子夫婦に牧場を譲ってしまっていて、ウエモンズハートだけは私がオーナーみたいな感じで中心となってやっている状態です。牧場の体験などを始めた理由ですが、実は自分自身がもともと家の跡を継ぐのが嫌だったというのがあるんです。自分にはもっと可能性があるんじゃないかって。「なんで親が農業やってるから俺がやるの?」ってね。四人兄弟の男一人だったので、納得のいかない自分がいるわけですよね。で、とにかくね、昼間仕事はするんだけど、夜家にいたくないから友達と遊んで歩くというそういう学生生活を送ってて。それで昼間なんか半分眠たくてね(笑)仕事やってるんですよ一生懸命。でも牛にしてみりゃあね、いい加減なことしかやってないわけですよ。「エサやっただろ?」「乳しぼっただろ?」みたいなね。そんな牛飼いをやってて、もちろん親もいたんだけれども結局手が回らない、牛もいい加減にしているから、なかなか牛が健康にならなかったんですね。それで牛が増えないから頭数増やしていこうというね。そういうことが続いてて、そのときに出会った彼女、付き合ってたガールフレンドに言われたんですよ。「あんたね、いっつも勢いよくどっか出てくとかこんな家出てやるとか勢いよく言ってるけど、今出たら後悔するわよ」って。で、なんでよって。俺もうあんな親父と一緒にやりたくねえんだって言ってね。そんなこといっつも彼女としゃべってて。そうやっていうからなんでよって聞いたら、「だってあんた、牛嫌いだって言ったことないよ」って言われてね。ともかく親父が、俺は一生懸命やろうと思っているのに親父がってそんな悪口ばっかり言ってて。でも彼女にそうやって言われて、え!と思ったわけ。そして考えてみたら子供のころから牛いたし、まあそんなに嫌いではないわね牛飼うのも。だけどもやっぱり自由がない。自分の思いも表現できないし、そんなことがあってふてくされた青春があったわけ。でもそこで諭されてあ!と思ったら、後継者だから親父が前にいていつも後ろについて歩いてた。親父がこれやるぞって言ったらやらなきゃなって。それでたまにこれやろうかなと思ったら、それはまだいい!とかってね。じゃあ俺はこうやろうかなと思ったら、まだあれやらないのか!とかね。こうやって言われるもんだから腹が立つわけよ。そんなんだったんだけども、彼女に言われて、ひと月、ふた月と考えるうちにふっと思いついて、「俺後継者って思ってたけど、俺の牧場にすればいいんだ!」と思ったわけ。そしたらもう朝早く、親父より先に起きてね。もう三年も四年もやってれば、手順はだいたいわかるわけだ。親父より先に起きて、朝から仕事をガリガリやるようになった。そして牛を見てると、牛の困りごとが見えてくるわけだ。いかになおざりに仕事をしていたかいうことに気が付いてきたわけですよ。そして一生懸命、その時の彼女が「仕方ない嫁に行ってやる」っていうもんだから、嫁に来ていただいて。来ていただいてだよ?(笑)そしたら俺も余計頑張る気になるよね。それで一生懸命頑張ればね、「ああ、牛って返してくれる」と思ったときに、すごくうれしかった。だけども、今の質問の答えになるけどね、今度は消費者がね、我々がこんなに牛のことを思い、牛を大事にして乳をしぼってるのに、なんで牛乳が高いとか、安く売ってくれって思うようになるんだっていうね。商品棚に並んでる牛乳の後ろのストーリーってあなた方知ってるの?って。こんなに苦労してるのにって思って、最初は困ったもんだと思った。消費者がこんなんじゃ困る、もうちょっとよく知れ!みたいに思ってた。だけど何年かたってみれば、自分も一消費者だって気づいてね。日本ってだんだん分業社会になってきて、自分の専門のことをやれば、それに対価を得て生活してるわけだ。そんなの海外も一緒だけど。そう考えたら俺らは酪農は得意だけどそれ以外のことは何もできないし、あ、同じ消費者だと思ったときに、「知らないことが罪なんじゃなくて伝えないといけない」って思いだした。そんなこと思いだした中で、ちょうど30代半ば過ぎから牧場の規模拡大もあり、頭数も増えてきて、飼育の体制を変えようと。それまで牛舎にどんとつないでいて乳をしぼってたんだけど、フリーストールっていう形に切り替えようとなった。そうすると、ミルキングパーラーっていう搾乳専用の建物を作らなくちゃいけないとなって、そこを二階から見学できるように作ったわけよ。それが完全な手立てになるとか、今の黙示かとか全く関係なしに、一人でもいいと思った。興味あって見に来てくれたら、「牛乳ってこうなんだよ!」「これだけみんな努力して、こんなに苦労して初めて牛乳って商品になってるんだよ!」って伝えられたらいいなと思ったのが、平成三年。実際に始めた年なんですよね。それから今度だんだん、そうやって酪農作業を見学できるっていう施設がほとんどないもんだから、農家の仲間から、農協の職員から、役所の人からって口コミであっという間に広まって。地元の小学校の社会科の授業で使いたいとか、そんなことが半年、一年続くと、いろんな学校にどんどん広がっていきますよね。そしたら二年目か三年目くらいからこんどは修学旅行まで来るようになって。なんじゃ?!っていうくらいね(笑)こっちがびっくりするくらい。本当に農作業に不都合が生じるくらい人が来るようになっちゃって。こりゃあ困っちゃったなと思って。そんな中で、牛のエサの収穫方法もね、それまで完全に全部干し草(一回刈れば三日四日かけて干し草)だったのを半分くらいにしちゃって、そして切り込んでサイレージにしようと。そういう風にすると、刈った翌日にはもう切り込んで収穫できるから。そうして体制を整えながら、とにかく来てくれるなら一人でも受け入れたいと思って、そういうことをやりだした。くる人たちには、何を知りたいのか聞く。こっちが伝えたいこともあるけど、「何を知りたくて来るの?」ってことを学校ごと、先生ごと、消費者が「何をウチで聞きたいの?何を見たいの?」ってことを聞いてそれに関して自分は調べて研究して伝えることを繰り返していた。だから知りたいことを知ることが大事。こっちが独善的に「農家はこうして頑張ってるんだよ」なんて話は誰も聞いてくれない。何を知りたいのかというニーズから入って初めて伝えることができる。そうして三年、四年、五年やっていくうちに、一生懸命俺が話するもんだから、「ここの牛乳飲んでみたい!」とかそういう話も出てくるよね。そしたら施設もなんもないから、牛乳をやかんに入れて沸かしてあげたら、「ああおいしい!」とかってね。まあ能書き聞いた後だからおいしく感じるわけだ(笑)そんな中で二年、三年やってた。そこでひっきりなしに、「何か乳製品作ってないの?」とか言われてえ!と思いだして。それは観光牧場がやることと思ってたわけ。乳製品の加工をね。観光牧場じゃなくても、ただ俺は農業を見てもらいたいと思ってオープンファームみたいなことやって、そこに人が来てくれてそこで乳製品食べたいと言って、え!と思い立ったわけ。そのころちょうど十勝ではハピネスデーリィとか、道内でいくつか農家がジェラートショップを始めたり、道南の方ではチーズ作りを始めたりそういうのがポツポツとあって、「これひょっとしたらその可能性あるのか?!」と思って平成七年ちょうど女房と二人で、農作業の合間を見ながら、砂川にあるぞ!洞爺湖の向こうにもあるぞ!北見の方にもあるぞ!とかって一泊二日くらいで車で走って行ってね。農家でやるとはこういうことか!っていうね。どんな機械を使ってるんだろうとか、お客さんこんなに来るのかとかね、遠くから一時間くらい眺めていたり。(カウント器で)来てるな、みたいなね(笑)そんなことで、可能性があるんだなということに気が付いてね。本気になってやってみるか!ってことで始めたのが「ウエモンズハート」。所得を上げようとかいろいろ言われるけどそういうことよりずっと以前の話であって、とにかく消費者に伝えたいっていうところから変わっていって、我々が教育側になって子供たち、消費者に来てもらって伝えていて、その来てくれる消費者から言われて乳製品の加工を始めたというね。だから皆さんに作ってもらったというか、国の方針がこうだからとかではなくて、消費者に気づかされてここまで来たという感じがします。



ひろき

なるほど!そのような経緯で始められたのですね。僕自身、初めてここに来たのが10年くらい前で、その時から気になっているのですが、「ウエモンズハート」という名前は、代々牧場の方がつけられているとお聞きしました。なかなか珍しいと思いますが、その意味や由来は何なのでしょうか?


広瀬さん

ウエモンというのは今言われたように、ウチは実は100年ほど前に岐阜県からこちらへ移って、その時に古くからの系図が書いてあったものを持ってきてるわけ。昔は百姓だからね。苗字がない。それで屋号として「ウエモン」というのをずっと代々名乗ってきてるわけ。親が隠居したら、2代目ウエモン、3代目ウエモン、という風に。でそれがウチの屋号だったわけです。だから、先代まではウエモンだったんだけれども、私の四代前の北海道に来た人は明治4年生まれでね、その人はウエモンとは名乗っていない。その前まではずっと名乗ってたわけ。で、なんでウチが「ウエモンズハート」という名前になったかというと、これこじつければ色々出てくるんだけど、たぶん皆さん若い方はあまりよくわからないかもしれないけど、「サイモン&ガーファンクル」っていうフォークソンググループがあって。「コンドルは飛んでいく」とか「明日に架ける橋」とかね、まあ胸にグッとくる名曲を青春時代に聞いてるわけですよ。フォークソングが好きなんでね。そしたらちょうど店始める前の年ぐらいかな、名前をなんとか付けたいなと思って。でも「広瀬牧場のアイスクリーム屋」とかだったらどこにでもありそうだしどうしようって思って考えてた時に、たまたま聞いてたラジオから、「コンドルは飛んでいく」が流れて、そしたらまあもう口ずさめるわけですよ(笑)リアルタイムでノリノリでね。あの頃サイモン&ガーファンクルよかったなあとか、あの頃の彼女もよかったなあとか思ってね(笑)(笑)それは冗談としてそんなこと思いながら聞いてて、フッと思いついたのが、サイモンとウエモンなんか似てるなって。ひょっとしてなんかこれウエモンって付けられるのかなって。でサイモン&ガーファンクルだけど、ウエモンは1600年代とある家から分家して、もう私が12代目ですから、分家してずーっと続いてるわけですよ。やはりそれなりに色々苦労して続けてきたわけで。まあそしたら広瀬牧場って北海道に来て牛を飼ってるわけだけども、そこから分家したんだと。で、一時のブームで終わるんじゃなくて、2代も3代も続く職業にしたいなということでね。初代に分家したウエモンっていう人のこころってそういうものだったんだろうと思ってね。「続けたい」という。それで「ウエモンズハート」だろうとなったわけ。もう「サイモン&ガーファンクル」からの「ウエモンズハート」ですよ(笑)


ひろき

なるほど!そこからきて最終的にウエモンズハートになったんですね!


広瀬さん

そうそう。これはもう本当にオリジナリティで、誰にもまねできるものではないからね


しゅう

聞いた瞬間耳残りがいいので。なんとサイモン&ガーファンクルからきていたとは(笑)


広瀬さん

そうなんだよ。それでねちょうど店始めて平成11年だね。その年みんな農家の奥さん方もね、新しい施設だということで視察に来るわけですよ。そしたらそこに嫁いでる方だったのかな、農家に嫁いでる方だと思うんだけどイギリス人の女性がいて、日本語すごい流暢でね。一緒に見に来て牧場の実体験して施設も見てね、そして実際にアイスクリームも食べて、おいしいとか、おいしくないって言ったか知らないけど(笑)そしてさあ帰ろうってみんなで玄関の方出てくわけですよ。そしたら一番後ろにそのイギリス人の女性の方と日本人の奥さんがいらっしゃって、そしたら玄関出て、日本人の女性が後ろ振り向いて「ウエモンズハートってどういう意味?」って聞くわけ。俺に聞けばいいのに、イギリス人に聞いたのよ(笑)カタカナで書いてるんだからわかるわけないだろうと思ってさ(笑)そしたらそのイギリスの女性が躊躇なく、「これ女の心とか女性の心っていう意味じゃない?」っていうわけ。で、うそ?!と思って。で、聞いたら、「Women’s Heart」だって(笑)なんか、「掘った芋いじんな」(What time is it now?)とか「わら」っていったら水(Water)とか、それと一緒で女の心になっちゃって(笑)そのあとすぐ母ちゃんに、「これ女の心だって!頑張れよ!」とかってケツたたいたりしてね(笑)


ひろき

なるほど(笑)またいろいろな意味がこもっているんですね(笑)


広瀬さん

後付けでね。まさに後付けだよね(笑)


しゅう

ちなみに乳製品を加工するとなったときに、アイスクリーム以外にもチーズとかヨーグルトとかたくさんあったと思うんですけど、その中でアイスクリームを選んだっていうことにはなにか理由があったんですか?


広瀬さん

うん、まさにそこですよね。一番最初に、まず何っていうのはなかったから、なんか牛乳を瓶詰めして売るのが加工の始まりみたいな考えがあって、そしたらちょうど見学施設を作った関係でいろんな人が見学に来てくれるようになって。農水省の職員とか道庁の職員とかね。その中で明治牛乳の工場長の方がいて、「なんで農家がこんな見学施設なんて作ってるの?何か意味あるの?」みたいに聞かれてね。でこんな形でしゃべってる間に意気投合しちゃってね。そしたらそのうち、「俺もなんか乳製品販売したいんだよね」って言ったら、「何作りたい?」って聞かれて。「やっぱり牛乳なのかなあ」って言ったら、「四葉の牛乳飲んだことある?」って聞かれて。もちろんあるって答えたら、「じゃあさ、四葉の牛乳と自分の牛乳比べて何倍くらいおいしいと思う?」って聞かれたわけよ。で何倍ってなんだいと(笑)味に倍数があるのかいと思ってね。そしたら何倍っていう聞き方はわからないから、「四葉の牛乳の値段知ってるか?」というから知ってると答えて、その値段で結構おいしいよねっていう話から、「じゃあ自分の牛乳をいくらで売ろうと思ってるの?」って聞かれて、え?!ってなっちゃったわけ。そこから話が始まって、たとえ1リッターの牛乳だって、それを売るには必要な設備ってのがあるんだって。たとえ牛乳1本しか売れなくても、何千万とかけた、保健所の許可を得た施設を作らなくちゃいけないって。だからあなたは借金を自力でお金出して返すかもしれないけど、それをどうやって利益出すの?そういう話になって。何千本何万本ってあなた売れるの?って。え?!ってなっちゃってね。これはいかんなと思って、じゃあ何作ったらいいの?って来たらそんなこと自分で考えろって言われて(笑)そうだよなあと思ってチーズがいいかなあとかね。ちょうど農家もみんなチーズ作りは誰かに教えてもらったとかかじる程度にはちょこちょこわかるわけだよ。で工場長の方にチーズってどうだろうか?っていったら、あれは本当に安定しないから大変なもんだといわれて困っちゃって。でそれからあれがいいこれがいいという中で、さっき言ったハピネスデーリィとか、いくつかアイスクリーム作ってるところがあって、自分たちも食べに行ってるわけだ。実習生とか若いの連れて今日はあったかいし行ってくるべ!って言っていったらお客さんたくさんいるんだよな。「こりゃあアイスクリーム儲かるぞ!」って(笑)「アイスクリームやるか!」ってね。(笑)そして何度か下見に行って、自分たちもやれそうだなということでアイスクリームに絞り込んだ。で気が付いたら、儲からないってことに気が付いた(笑)それはどういうことかって言ったら、我々がアイスクリーム食べたいって言って行ったのは、やっぱり暖かい日なんだ。そして、日曜日ってのは人が集まる。で自分でやってみてわかったんだけど、5月、6月、5月から連休であれば四月の末から8月いっぱいまで、土日とか休みに天気よくて、休みだったらお客さんも1000人、1500人来るわけさ。でもいくら土日だと思っても、天気が悪かったり寒かったりするとお客さん3分の1も来ないんだよな。ということは、その数か月を除いたオフシーズンっていうのはお客さんほとんど来ないわけだ。だから1年中開けてたってどんどん儲けを吐き出してるだけになっちゃう。で儲からないんだなあって(笑)やってみてわかった。


しゅう

そうですよね。北海道の土地柄やっぱり冬は、、、


広瀬さん

だから最初オープンして2年間はね、「たとえお客さん一人でもやるべきだ!」みたいなね、そんな信念に燃えて2年間通年でやったんだけど、とうとうくじけて3年目から冬休み取るようになっちゃってね。1月2月は全休にしたの。


ひろき

なるほど、僕もお正月に来たときはお休みされてますもんね。


広瀬さん

ちょうどクリスマス終わるまでね、ケーキやなんかやってるもんでね、それ終わって冬休み。まあいろいろとね、やってみなきゃわからんっていうことですね。


しゅう

なるほど。たしかにいろんな予想しないことがあってここまで来たということですね。


広瀬さん

そうですね。まあ、一歩一歩手探りでね。何でも立ち止まって眺めてたってね、風景は変わらないけれど、一歩進んでみると、また風景が増えてきたり、どっちに進んだらいいかなとかね。ずっと向こうは見えないけど、一歩進む先は見える。そこ行って、ああ、ちょっとこっち戻った方がいいかなとかね。やっぱり少しずつでも進んでいかないと、進んでいく方向っていうのは見えないね。


ひろき

ジェラートにはそういった経緯があったんですね。僕スイーツが大好きなので、十勝来たら必ずいろんなソフトクリームを一日に4個くらいはまわって食べるんですけれども、ここは親せきに来て連れてきてもらって、「こんなおいしいジェラートあったんだ!」って思ってそこから毎年来ていて、本当に大好きなんです。一応牧場の方もやられているとお聞きした。実は僕が高校生の時に一度だけ牧場の方にアルバイトに行ったことがあったんですけれども、牧場って牛を育てているじゃないですか。それで生き物に対して育てているなかで、やはり亡くなってしまう牛とかもいるじゃないですか。そんな中でなんとか育てていると思うんですけれども、やはり僕は初めて見たときにすごいショックを受けました。それはどういう風な気持ちで育てているのですか?


広瀬さん

それはもうやっぱりね、まあ言い方かっこつければ家族ですよね。で家族なんだけれども、やっぱりどこかで家畜っていう概念も捨てちゃいけないわけで。まあ例えて言うならペットっていうものをを飼いますよね。そしたら最後まで看取るわけわけでしょ。ただ家畜はそうはいかないんだよな。だから、どこかで命を終わらせなきゃならない時がある。これは治療しても長くかかるなとか経済的に損失が大きいなとなった時の対応とかね。そこで命をこっちが決めちゃうわけよ。だからそこに酪農とか畜産業の辛さがある。そこが嫌であれば、その前に何をするのか、さっき言ったようにね。牛の困りごとはないのかっていうことで一生懸命みてあげる。それでいかにね、してあげたって力及ばないこともある。だからその時には「ごめんね」って。そして次の牛にはそれ繰り返さないようにね。そういう糧にする。だからペットとは違うんですよ。


ひろき

なるほど。また気持ちというか、たくさんいる中でも、家族として気持ちは注いでもどこかでその線引きをするというか、、、


広瀬さん

そう。それをしっかりできないとね。で、「俺はここで終わりなんだ」っていうね、そういう見切りを付けちゃダメなんですよ。なんでこの牛を殺しちゃったの?本当はもうちょっと、とかね。それは何かしらの原因があるわけですよ。自分の技術が足りなかったのかもしれないし、さっきいたように今本当は見てあげなくちゃいけない、だけど遊ぶのに忙しくて、彼女に会いたくて出かけちゃってね、帰ってきたら死んでたとかね。やっぱりそういう何かがあるんですよ。だからそれは一つ一つ改めていかないと、絶対それはもう経営なんてできませんよ。はなからすべてのことをわかっている酪農家なんていないわけだから、苦労はするんですよ。だけどもそうじゃなくてね、その中から、自分はどう牛たちと生きていくんだということをしっかり見つめていないと。だからよく笑い話で聞くけど、酪農やりたい!新規就農っていうね、新しく農業やりたいっていう人がいましたと。それで自然の中でこういう仕事やるの好きなんだ!って言って外で仕事の実習をして戻ってきました。それで就農したら、「いやーこういう自然がよくてね、川があってさ」とかって言って。そして朝乳しぼってそこらへんで放牧して、「釣り好きなんだよー」なんて言って毎日釣りに行って、帰ってきたら牛が困ってたこともわからず死んでたとかね。だから何が主なのかということをしっかり心得ておかないといけない。自分の中で若い頃っていうのはさっき言った友達とお酒飲むとかそういうこともあった。例えばパチンコだとかゴルフだとかね。やっぱそういうことも仲間とやってみたいなというのがあった。だけど一人でやるものじゃないから、まあパチンコは一人だけども、自分で決めた時間に帰れないなあって。ゴルフなんてやっちゃったら、あるいは麻雀なんかもそうだわな。そんなものは自分一人だけ抜けるってわけにいかないわけだ。だからそれだけは絶対やらないと思ったな。今もやってないし。だから自分で、この趣味は1、2時間時間空けても後でまたできるからいいなとか、そういうときはちょっと出かけることはできるけど。明日まで待っててくれじゃあ、やっぱり何かしらの問題は起こるからね。だからまあ自分が今やってることは、本読んだりだとか、あとは喫茶店行ってコーヒー飲むとか。時間があればね。それなら1、2時間で時間つぶせるわけだし。そこ(酪農)からちょっと離れたいなと思えばね、やっぱり気分を変えることは非常に大事なことだからね。そんな風にして自分をきちんと向き合う態勢にしておかないと。やりたいことはいっぱいあるんだけれども、そうやってグループで動くようなことをやっちゃったらとてもじゃないけどダメだなと思ってね。だからそれは一切触ったことないし。パチンコも俺も短大行ってた時に結構ハマってね(笑)儲かりもしないのに夢がある!みたいなね(笑)あれだって結構時間取られちゃうし、これって良くないなあと思ってね。北海道きてからは一回もやったことないです。


ひろき

やはりそれだけ向き合っていくということなんですね。僕自身は畑作の方にもアルバイト行ったことがあって。牧場の方にもアルバイト行ったことがあるんですけれども、両方見てると、働く時間って違うじゃないですか。酪農家さんって朝早くて、また夕方に作業あってっていう。畑作の場合は一日8時間で5時とかっていうイメージだったんですよね。朝早く起きて、仕事をやるって、やはりそれは体のリズムなどは慣れてくるものなのでしょうか?

広瀬さん

というかね、俺は酪農でよかったと思ってる。さっき言ったように、若いころ夜遊びばっかしてて、朝起きたくないでしょ。また朝来ちゃったよって(笑)だけど牛飼ってるわけだから仕方ない。仕方ないって言って起きるわけ。で、それがだんだん進んでいくとね、さっき言ったように、本気にならいといけないということで、夜遊びをやめる。そして朝起きるようになるでしょ。そしたら結局ね、牛に自分の人生を、自分を矯正されたっていうのかな。そんなグダグダの自分をね、きちんとこう、規則正しい生活リズムに追い込んでくれた。だから畑作だったらね、それこそなんか今日はあんまり、とかいいよ後で、とか思ってもそこらへんでモーモー鳴くわけじゃないから、これだったらきっとそうやってダメになってただろうなって。だから本当にね、牛に、何とかまっとうな人間にさせてもらったなというね。そういう感謝の気持ちがあるな。


ひろき

なるほど。牛がいるからやらなきゃいけないということですね。


広瀬さん

そうそう。だから昔の人の言葉でね、畑作だって言うのは、「畑に小判のあとをたくさんつけるのがいい百姓だ」っていうね。意味が分からないでしょ。小判のあとっていうのは昔本当に江戸、明治の初めはわらじはくわけだ。そしたらわらじって小判みたいになってて、それを小判のあとっていうわけ。足跡だな。だから「畑に小判の足跡をたくさんつけるのがいい百姓」、つまり、小判が、金が入ってくるっていうね。だからやっぱりね、種まいたからって収穫までほっとけるもんじゃないでしょ。種まいたら、1週間、10日たって芽が出る頃水も足りてるか足りてないかとかね。芽が出だせば、他の雑草に負けてないかとかね。やっぱり作物の一番してほしいときに一番してやらなきゃいけないことを次から次へとやって、それが小判のあとをつけるっていうこと。それをたくさんね、作物と会話してる人はいい百姓なんだっていう意味。だからおんなじなんだ。


ひろき

牛も畑作も同じなんですね。


しゅう

施したら、施し返してくれるということですね。


広瀬さん

そうそう!まさにそう!だからギブアンドテイクがちゃんと成り立つわけ。だけどこれ会社の人がなんかしたらさ、俺いくら能力あったって、1年生は1年生だわな。ちょっとあれやっとけとかって。あれやっとけはいいけどさ、そんな2年も3年もこれやらなきゃいかんのかとかね。また不満が出てきて、俺ならこうするとか、いいから言う通りやっとけとかね。やっぱり組織ってのは縦になってるわけだから、てっぺんまで行かなきゃね、会社の人間全部は使えないわけだよ。専務であろうが常務であろうがね。部下は使えるけど上からなんか言われる。だけど一番てっぺんになったからといって会社で言えば株主に頭上がらんとかさ、うちらみたいに個人経営だったら母さんに頭があがらんとかね(笑)いろいろあるわけだよ(笑)(笑)だから、そう簡単に、「やってあげた、返してくれる」っていうね、これほどはっきりした関係はないな。牛ってすごい生き物なんだ。自分がやってあげたことがちゃんと評価される。ただそれが間違った施しとか間違ったことをやったらそれは全然ダメなんだ。本当に何が必要なことは何かっていうのをしっかり見つめてないとね。ってだんだんわかってくる。そこでね、例えば乳価っていうのは、国が決めた乳価でね、一律なわけだよ。それで同じ乳価で同じ農業やってて脱落していく牛屋とね、伸びていく牛屋がいるわけでしょ。それはそこだけに下がるということ。1年2年ではそんなに変わらないんだけど、5年、10年となるとあっという間に気が付いたら差がついちゃってるとかね。まあこれはね、70年近く生きてきたから言えるんだけどね。たぶん皆さんこれからね、いろんな意味でそういうことを経験していくと思いますよ。



ひろき

色々なお話を聞かせていただいて本当にありがとうございます。最後になんですけれども、酪農をやられたりウエモンズハートの方でジェラート販売をなさっているわけですが、最初の方にお聞きした、牛乳の高い安いであったり、消費者ファーストみたいになってる中で、僕たちがもっと酪農とかに対して知った方がいいことなどはありますか?


広瀬さん

まあ知った方がいいというかね、それはまあ皆さんそれぞれね、あなた方だけじゃなくてそれぞれの想いがあって生きているわけなんだけれども、基本的に、人間はなんで、というか何によって生きてるかというと、食べ物を食べなきゃ生きていけないわけなんですよね。だから地球上に70億強の人がいますよね。それである環境的な視点で見れば、今の人類を養うのに地球が二ついりますとかね、ACとかが言ったりしているんだけれども、要するに食べ物っていうのは絶対に必要不可欠なんですよね。だから食糧が、要するに「sustainability(持続可能性」とかって言うよね。SDGsとか。だからいかに食料を持続可能な形で作っていける環境を守るのかというね。そういうことを消費者が一緒になって農家と考えていかないとね、農業なんてものはあっという間になくなっちゃいますよ。だから大変といえば大変な仕事なんです。365日休みもないし。だけどそこを本当に返してくれるとか楽しみがわかって、そこで毎年経営が持続できる対価で牛乳であったり農産物を買っていただけるのであれば、本当にまた次の農業につながると思うし。やっぱり食糧というのは命の糧なんだということをよく考えていただきたいと思う。そうすればもうちょっとしっかり見ようとかね、そんな風になっていけるんじゃないかなと思う。だから一人農家だけが立派な家に住んで何台も何台も家族の人数分車もって、農家贅沢!みたいなね。それはまあ贅沢と言えば贅沢かもわからんけども、結局出かけるて言っても公共交通機関があるわけでもないし、親父が出かけて母ちゃんが出かけて息子も出かけるとなればそれはそれぞれの車がある程度必要になるし。だからまあそうやってリッチに生活できることがいいのか、リッチそうに見えてふところが大変そうな人もたくさんいるわけだ。やっぱり再生産できるようにね、農業っていうものをしっかりみんなで支えていただきたいなと思います。消費者の理解なくして農業なんてやってけるもんじゃないのでね。ぜひ皆さんによーく見ていただきたいなと。自分たちが食べているものがどうやって作られているのかね。蛇足になるけれども、食の安心安全っていう言葉よく聞きますよね。それはただお経のように呪文唱えてるわけじゃなくて、それに対する我々の取り組みがしっかりあるわけだ。例えば牛の生まれたときに耳標をつけるとか。それはトレースアビリティといって、最後に皆さんの口に入るために肉になったパッケージの裏までその番号がいくわけだ。それを携帯サイトで調べればね、どこで生まれてどこで育った牛だとかね。生産工程管理といってね。広瀬牧場で牛が生まれました。こんなエサ食べてました。ここでは畑にどんな肥料をまいて、どんな作物を使って、どんな人間を使ってということがすべて追跡できるようになっている。そういう生産工程管理とかにはしっかり、ポジティブリスト、ネガティブリストという使っていい農薬と使っちゃダメな農薬をきちんと分類してあって。それを全部チェックして十勝なら十勝の農協に集約してそれに違反したした人は注意喚起が来るし、だいたいそんなうかつなことはやれんよな。肥料、農薬はすべて仕入れたところの伝票に一緒に添付しなきゃいけない。どういう成分の農薬を使ってるのとかね。そうやってしっかり安全を担保できるようになっている。だから呪文を唱えてるだけじゃなくて、十勝中、北海道中みんなで協力し合って初めて安心安全と言っているんだということをわかってほしい。


ひろき

本日はたくさんお時間をいただきましてありがとうございました。本日はウエモンズハートのオーナー、広瀬文彦様にお話をお聞きしました!


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